セゾン現代美術館の展示は20世紀ばかりでなんと21世紀の作品がなかった。
「現代アートってなんですか」と聞かれたら「現代の作品という意味ではありません、現代に生きるわれわれのためのアートです」と答えるべし、と誰かが書いていた。その意味で何年も前の作品でも「現代」なんだろうなどと考えてしまった。
アンゼルム・キーファー「革命の女たち」
殺風景な部屋にベッドが20台くらい。どれも背中部分がへこんでいる。
マグダレーナ・アバカノヴィッチ「ワルシャワ40体の背中」
背中を丸めて座り込んだ人物の背中が40体。回り込んで見るとどれも内側は空洞。
子どもが入ってきて戻り、お母さんに「見ないほうがいいよ、こわいよ」と忠告していた。その通り。
その後、お庭をひとめぐり。高原美術館らしく庭園がすばらしい。雨上がりの空気がしみこみます。
アートサイトを携帯でチェックして目星をつけて、地下鉄で広尾まで。まずはエモン・フォトギャラリーという新しいところへ。
http://www.emoninc.com/
外苑西通りと有栖川公園にはさまれたあたりの、きわめて分かりにくいが、その分排他的な高級住宅街の一角にある。ふりの客がありえない場所だが半地下の隠れ家的心地よい空間だった。
作家の西野壮平は写真家なんだが、彼は東京や大阪、京都などの都市をいろいろな場所から大量に撮影する。そのプリントをきわめて小さなピースに切り抜いて巨大キャンバスに貼りこんで都市を再構成する。まさに一品モノ。その行為の結果として彼の感性を通じた都市の肖像が出来上がるというもの。
まさに写真とファインアートの出会い。素晴らしい。プリントが4万円くらい。ちょっとくらっとなった。いかんいかん、気をしっかり持たなくては。
先週の金曜日は免許の書き換えのために大手町へ。ついでに竹橋の近代美術館へ。
「沖縄・プリズム」展は近代以降の沖縄に関するもの。地元作家はもちろん、本土からの作家が沖縄にどのように影響されたか、どのように表現したかも併せて展示されている。
正直、前半部分はあまりにも戦争に翻弄されてきた基地の島のイメージでベタだったけど、終わり間際の現代の作家たちに気分が浮かれた。
上原美智子の「エアーシリーズ」は軽い絹をくしゃっとまるめて金属の台においてあるだけのもの。だけど、美しくもハードな表面を持つ金属のテーブル上で白い絹ががかすかな空調に震えている姿はまさに高貴。
山城知佳子の「アーサ女」はビデオと写真のインスタレーション。写真は水面で海草にからまった女の顔。ビデオは水面から空とかを見上げたときの映像。たぶん写真の女の見た視点の映像か。はあはあといった息遣いの音とあいまって緊張感がただよう。
照屋勇賢の「儲カティクーヨー、手紙アトカラ、銭カラドサチドー」はビデオとオブジェのインスタレーション。ビデオはブルックリンの道路わきの排水路に笹舟を浮かべて流している映像。この人はリリックな人だと思った。気候も文化も景色も違う街の片隅で笹舟を流してしまうのだから。
バブルの塔、ヒルズ最上階の森美術館へ。ここではインドの現代アートを百花繚乱に見せてくれた。
平面、インスタレーション、映像と西欧の作家にひけをとらない完成度の高さ。インドの現代アートシーンのレベルの高さを目の当たりにできる。しかし、逆を返せば別にどこの国でも構わないのでは、単に世界が平たく同時間性を持っていることを認識するだけのこと?とも思える。
日本の現代アートシーンがレベルの高さとともに膨大な消費社会をバックにした分厚い文化層を持っていることを常に垣間見せているのと比べて、どうよ?というのが全体の感想。
それはそれとして、森美ってやっぱり料金なりの満足は与えてくれる。企業美術館の奥行きの深さもつくづく感じた。
森美のチケットに付属のヒルズ屋上見物で夕暮れの東京の夜景も楽しめた。しかし高所恐怖症の私は数分で退散。