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日本の新進作家展vol.10「写真の飛躍」@東京都写真美術館

写真の飛躍@東京都写真美術館

昨年は「ニュー・スナップショット」で山城知佳子を見に行って大満足、その他の作家もそれなりに先鋭的だったのだが、今年は印象に残らない展示会だった。手法に特徴のある作家が多いからだろうか。これが今年の新進作家だとすると日本の写真がちょっと心配になる。

西野壮平の膨大な手仕事には感動するが、今後の展開が想像できず閉塞感が感じられる。北野謙の手法は非個性のみが浮かび上がり、これまた閉塞感が漂うものだった。

どんな仕事でも迷ったら現場に行けとはよく言われるが、人間と向き合って撮ったものは作家の限界は別にしても、限りない奥行きが感じられる。そしてこの世界の豊かさが感じられる。展示会ではせめていい写真がみたい。

TOKYO FRONTLINE@3331 Arts Chiyoda

TOKYO FRONTLINE@3331 Arts Chiyoda春はアートフェアの季節。ということでそのさきがけとなるTOKYO FRONTLINEに行ってきました。

場所は秋葉原の3331 Arts Chiyoda。第一回目の101TOKYO Contemporary Art Fair会場だったところ。

その時は、まだ、ただの小学校跡地だったが、そのブース構成はただのマスで区切っただけで通路というものがなかった。つまり別のブースに行くためにはどれかのブースを通過していかなければならない。

それが学園祭ノリのアートフェアによく合っていて楽しかったが、いまではすっかりきれいなアートスポットになっていました。

美術館と違ってアートフェアはビジネスの匂いが魅力的で、自分でも買う気になって見ないと楽しくない。
なので、私は①評価のまだ定まっていない作家、②平面作品、③自分で好きだと思える作品、を基準と決めて見ました。

このアートフェアの1階は、ブースではなく企画展風に展示されている。

桑久保徹や三瀬夏之介など大好きな作家の作品があったのですが、上記の基準に照らしてあまり浸ることなく探索へ。

そこで、惹きつけられたのが小西紀行。
ペーパーに油彩で主に子どものポートレートを描いた6枚もの。印象的なタッチが根源的な心象風景をあらわしている。ちょっと加藤泉を思い出す。

あと、梅津庸一のセルフポートレート。
立ちションしている人物画にあれっと思ったら、やっぱり村山槐多の「尿する裸僧」へのオマージュらしい。奥の壁に貼ってある小さなメモにそんなことが書いてあった。若いのに昭和初期の夭折の作家を取り上げるとは感心。

ということで、1階で気に入った2人はどれもアラタニウラノの作家だった。やっぱりここは趣味が合う。

2階は普通のアートフェアっぽくギャラリー単位のブース展示だった。

ユミコチバアソシエイツでは写美の企画展、「スナップショットの魅力」で気に入った鷹野隆大のカスババが沢山出ていました。
ここは山城知佳子高松次郎の個展も見に行ったところ。なんとなく自分の趣味が収束しているのを感じた。

それから新たな発見がギャラリー・ハシモトの荻原賢樹。
黒い画面に白い塗りによる抽象画。筆使いのリズムと構成がすばらしく、単色の画面ながら多くの色彩と映像を喚起する。

オーナーによると、彼はIT企業にお勤めの社会人画家。でありながらも週末を利用して大きな作品をコンスタントにつくり続けているとのこと。GEISAIで目をつけてコンタクトしたとのことで、確かにギャラリストは見る目が命なんだと思った。素人目にも伸びそうだと思う。

あと、アヤ・アンド・サナギの井上光太郎。
昏い炎のような筆遣いで住宅や顔のないポートレートを描く。これをどこかで見たなと思ったら、眼科画廊だった。
いろいろと見ていくと心に残る作品があり、再会がある。これが縁か。縁なのか。

ミサシンギャラリーには照屋勇賢のトイレットペーパーとか紙袋作品があった。オーナーがいてちょっと話したが、やっぱりギャラリーのオーナーは美人でなければと確認した。

アートフェアには「自分で買うとしたら」という刺激や興奮があり、美術館にはない楽しみがある。

山城知佳子:コロスの唄@ユミコ チバ アソシエイツ VIEWING ROOM-shinjuku

山城知佳子:コロスの唄@ユミコ チバ アソシエイツ VIEWING ROOM-shinjuku

映像作家としてはここ数年一番気になる人。

今回の個展は写美のニュー・スナップショット展のための撮りおろし新作。

基本的にビデオ作家なのだけど、今回は写真のみ。しかも、いつもは自ら出演なのだけど、今回はモデルを使ってという新たな取り組み。

熱帯の森の光と陰の中で男と女は精霊のようだった。そして、それら精霊はあくまでも朗らかで残酷なのではないかと空想する。

奥の部屋には昨年の恵比寿映像祭でみた「バーチャル継承」が。この時に観た「沈む声、紅い息」が忘れられず、どこかで再会できないものか。
老女、記憶の水葬、荒い息。明瞭に記憶されるものではないが、決して忘れ難い映像だった。
ビデオの新作も早く観てみたい。

山城知佳子のブログ「プカリー水辺の物語 ー」

ところで、女性の映像作家といえば八幡亜樹はどうしているのだろうか。昨年の六本木クロッシングと行幸地下ギャラリー以来聞かないが。

映画「ANPO」@渋谷アップリンク

ANPO@渋谷アップリンク日本育ちのアメリカ人女性(リンダ・ホーグランド)による、日本人アーティストと60年安保の時代についてのドキュメンタリー映画。

朝倉摂、池田龍雄、石内都、東松照明、中村宏などその時代まっただなかのアーティスト。半藤一利、保坂正康、ティム・ワーナーなどの評論家やジャーナリスト。山城知佳子など生まれる前だが現在活動真っ最中のアーティストがその記憶や思いをそれぞれの作品を背景に語る。

60年安保については多くの評論や小説があり、自国の歴史としてそうしたものを読んできた立場からすると、この監督の見方は単純で深みに欠ける。この監督の見立てでは、あの事件は大きな広がりをもった国民運動であり、その後はその反動としての国民的挫折と失望だったという構図であるようだ。

しかし、その後の経済の高度成長の裏側で進行していた陰惨な事件(赤軍リンチ事件やあさま山荘事件など)の記憶から、私はすっきりとした見方ができない。

というように、日本人からするとこの時代についての映画は今さら感があるのでは?しかし、あらためてアーティストたちを中心に据えてのまとまったドキュメンタリーとしては見ごたえがある。
それぞれのアーティストが語るあの時代についての言葉は深みがあり、あらためてあの時代と現代につながるその後について再考させられた。

私にとって初めて聞く作家たち、石井茂雄や市村司、山下菊二などが残した作品から、あの激動の時代の気分がシュールレアリズムや前衛という表現手段を得、そして時代の徒花のように妖しく花開き、それが作家の命を吸い取ったのかとも思った。それは池田龍雄のシュールなモチーフや中村宏の妖しい人物にも息づいている。

インタビューの中で最も忘れられなかったのが沖縄の写真家・石川真生の言葉。「アメリカは大嫌い。でもそれを許している日本も嫌い。同じようにそれを認めている沖縄も大嫌い」

深く倒錯した憎しみと愛情の表出だった。こんなに深く乱れた感情を戦後から今日まで沖縄の人々に押し付けて見ていないふりをしているということを、本土の人間は先ず知らなければならないと思った。この乱れた感情は日本全土で共有しなければならないのではないか。

嬉野京子の有名な写真、アメリカ軍のトラックがひき殺した幼女の体を足元に立ちはだかる米兵たちの姿。東松照明の長崎被爆者のケロイドの顔の写真。
定期的に繰り返し、巡礼のように見なければならないアート作品というものがこの世にはある。

恵比寿映像祭「歌をさがして」@東京都写真美術館

恵比寿映像祭「歌をさがして」@東京都写真美術館現代アートの映像を集めた展示とイベントと上映の催し。展示は小ぶりで、目玉はどちらかというとシンポジウムなどのイベントとなかなか見られない上映作品か(展示無料だし)。

私は1960年代のシンガポールの映画黄金期をめぐるプレゼンテーションを見た。映画産業という視点で見ると、東南アジアは一括りにできない、シンガポール、マレーシア、インドネシア、フィリピンそれぞれの事情と相互影響。さらに中国、インド、日本、そしてハリウッドの映画の影響など複雑にからみあっていることが分かった。また、彼の話す失われゆく文化についてのアーカイブへの支援のなさ、関心のなさが身にしみた。

展示では山城知佳子に再会できた。「沈む声、赤い息」の鎮魂に思わず手を合わせたくなった。あと、「バーチャル継承」の恍惚の表情にも。
アルフレッド・ジャーの展示の作り込みは相変わらず高級感たっぷりで徹底している。彼が原爆詩人の栗原貞子に関心があるとは知らなかった。私も読んでみようと思った。

それにしても映像祭のウェブサイトかっこいい。街中の広告も。アートイベントでここまで徹底した広報は久しぶりにみた。制作費の半分くらいはつぎ込んでいるのではないか。

プレゼンで挨拶した女性が総合ディレクターらしいが、若いのに一本筋の通った展示会を成し遂げた。これから来場者の伸びを期待したい。

「沖縄・プリズム」展@東京国立近代美術館

「沖縄・プリズム」展@東京国立近代美術館先週の金曜日は免許の書き換えのために大手町へ。ついでに竹橋の近代美術館へ。
「沖縄・プリズム」展は近代以降の沖縄に関するもの。地元作家はもちろん、本土からの作家が沖縄にどのように影響されたか、どのように表現したかも併せて展示されている。

正直、前半部分はあまりにも戦争に翻弄されてきた基地の島のイメージでベタだったけど、終わり間際の現代の作家たちに気分が浮かれた。

上原美智子の「エアーシリーズ」は軽い絹をくしゃっとまるめて金属の台においてあるだけのもの。だけど、美しくもハードな表面を持つ金属のテーブル上で白い絹ががかすかな空調に震えている姿はまさに高貴。

山城知佳子の「アーサ女」はビデオと写真のインスタレーション。写真は水面で海草にからまった女の顔。ビデオは水面から空とかを見上げたときの映像。たぶん写真の女の見た視点の映像か。はあはあといった息遣いの音とあいまって緊張感がただよう。

照屋勇賢の「儲カティクーヨー、手紙アトカラ、銭カラドサチドー」はビデオとオブジェのインスタレーション。ビデオはブルックリンの道路わきの排水路に笹舟を浮かべて流している映像。この人はリリックな人だと思った。気候も文化も景色も違う街の片隅で笹舟を流してしまうのだから。