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アート巡りの帰りにプチ被災体験

●地震発生から中学校校庭で避難へ

前のポストにあるように3月11日に栃木県桜川市へ雨引の里と彫刻2011に行き、その帰りに地震に遭遇しました。自分の防備録も兼ねて経緯を書き残します。

タクシーでJR水戸線大和駅に着いたのが13:40頃。次の小山方面の列車が14:20でしたのでかなり時間がありました。お天気もよかったので無人駅の周辺で日向ぼっこなどしながらのんびりとしました。

14:20大和駅発の列車に乗ってローカル線の旅。平日の午後ですので4両編成の車内は座席が半分埋まるくらいの状況です。

終点の小山駅ひとつ手前の小田林駅でドアが閉まったときに大きな揺れがありました。これが14:45の一回目の揺れです。車両が大きく横揺れしました。それがかなり長い時間続きました。

ドアが開き、乗客の一部が外に出ましたが揺れが中断してから車内に戻りました。しかしその後も揺れは断続的に続きます。その時は外にいるよりも車内の方が安全と感じました。

その後、何回か車内アナウンスはありましたが、バッテリー保護のため電源が落とされると若い車掌さんが一両ずつ生声でアナウンスしていました。その時点で暖房も停止。

その30分後に「本日中の復旧の目処はたたず、余震で車両が脱線するおそれがある」とのこと。車掌さんの指示で駅前の結城中学校校庭に移動することに。ちなみに小田林駅は無人駅です。

車両もかなり寒くなっていたのですが、吹きさらしの校庭はさらに寒かったです。校庭に行った乗客は60名ほど。

そろそろトイレの心配があったので、学校関係者に聞いたところ体育館は危険だが武道場は大丈夫とのことで、それを使わしてもらいました。これはありがたかったです。

乗客に中国人のカップル二組がいました。地震が起きてからも楽しそうにはしゃいでいたのですが、さすがに心配になのではと思い「日本語わかる?」と聞いたところほとんど分からないらしい。

こちらも中国語はぜんぜん分からないので困りましたが、「トイレ、あそこ」とか「電車、今日はダメ」とか単語で伝えるだけはしました。友部に住んでいると言っているようでしたが、その後どうしたかな。

さて、家族との連絡についてですが「こういう時に携帯はつながらない」との刷り込みがあって、最後まで音声通話はしませんでした。今、考えてみると、ときどき話している人が周囲にいたのでやってみてもよかったのですが。

それでiPhone(SBM)のSMSやGmailなど試してみましたが届いたり届いていなかったり。あるいは先方からのメールが届いていたりいなかったりでした。やはり、一番安定していたのはTwitterのダイレクトメッセージです。

●中学校の会議室での待機

17:00過ぎに余震の心配はなくなったようで車掌が乗車取り消しチケットを出すことになりました。それから学校関係者の勧めで会議室に入ることに。そこにはストーブがあってほっとした。

その時点では帰ることができた地元の方が何人かいたようで、会議室に入ったのは30名ほど。

車掌さんの話で水戸線も宇都宮線も当分動かないことが分かり、今夜は泊まりになりそうだと覚悟を決めました。そこで同じように遠方に帰る人はいますか?と声をかけたところ10名ほどが手を上げました。

夕方になり自分のiPhoneのバッテリが心配になったので、学校関係者にお願いして電源タップを借りてきたところ、数名が充電を希望しました。

中に充電器を持っていない人がいたのですが、もじもじしていたので代わりに「どなたかDocomoの充電器を貸してくれませんか」と声をかけたところ何人かの方が快く貸してくれました。

その後、乗客の方がイチゴやおみやげのお菓子などを分けてくれて雰囲気がなごみました。

そういえばとiPhoneのRadikoのことを思い出し、これをスピーカーで流したところ多くの人が聞きに集まりました。やはりこんな時、人が求めるのは情報なんだなあと感じ入りました。

だから、こうした状況で先ず必要となるのは、携帯の電源とラジオかテレビなどの情報源だと思います。

さて、その後しばらくして、ある乗客が「学校としては乗客に近いうちにここから出ていってもらうつもりらしい」と聞いてきました。

結城市のいくつかのホテルに電話をかけたところ営業していないと言われており、電車も不通ですし、ここを出されたら遠方からの乗客は寒空にどうしようもなくなります。

そこで、「少なくともこの部屋で一晩滞在させてもらえないだろうか、あと毛布など貸してもらえればもっといい」と交渉したところ、これから学校は無人になるのでダメだとのこと。

学校としては生徒を自宅に安全に帰すので忙しかったと思うし、自分の家も心配だろうから気持ちは分かります。しかし、学校はダメでも自治体に災害対策があるはず。なのでせめて市役所に連絡してもらえないかと意見したところ、やってみるとのこと。

ところが、その後市役所に電話がつながらないので自分で電話するようにとの言い渡し。これは校長先生に直接交渉しなければと考えていたところ、JRの車掌さんが今後はこちらが交渉するとのことでした。

JRも相当混乱しており、若い車掌さんで頼りになるかなと心配もありましたが、とりあえずお任せすることにして待機していたところ、地元の消防団が協力してくれることになりました。

●小田林コミュニティセンターで一泊

19:00近くに消防団の方のキャンピングカーが迎えに来て、遠方の乗客7名を乗せて移動しました。残りの人達は迎えの車が来るのを学校で待つことにしたようです。

目的地の小田林コミュニティセンターは停電中で水も出ないとのことですが、お湯は沸かせるとのことでした。食事が心配なのでお願いしてコンビニに寄ってもらうことにしました。

コミュニティセンターはたしかに電気も水道もありませんが、発電機が動いており灯りもストーブもあり、備蓄の毛布や食料も出してくれて学校よりはるかに快適な環境でした。ただ水道はダメでしたので、トイレのことを考えて食事は控え目にしようと思いました。

さて、食事もすませてひとごこちが着いた頃、地元の子ども連れ家族が二組合流しました。

和室にはテレビがあったのですが、発電機のコンセントにつなげても映りません。乗客の一人があれこれやっているとようやく映って、情報が得られたのでもっと安心。その後、市役所の方が状況説明に来たり名簿作成に来たりとありましたが、予想外の居心地のよさにほっとしていました。

すると22:00頃に市役所の方が来て、電気も水道もある別の施設に移ってくれとの要望がありました。しかし、乗客の全員が既にここで落ち着いているのでここで構わない、移動はしたくないと伝えました。市役所の方で、しばし議論があったようでしたが、各自の希望を尊重するということに。

23:00頃に乗客の一人の友人が迎えに来ました。友部から来たとのことです。
迎えに来てほしいと連絡をしたのが17:00頃でしたが、渋滞や通行禁止が多く、踏切が通れないとのことで5時間もかかってしまったらしい。

ということで、この時点でひとり減って乗客は6人に。

ところで、同様に列車に乗っていて地震に遭遇した例はそこらじゅうにあるはずで、同じ水戸線でも山奥で止まってしまったり、あるいは宇都宮線や新幹線のように大量の乗客を乗せて止まってしまった車両もあるはずです。それを考えてみると、同じ被災者でもたまたま駅に止まり、駅前に中学校があったことは幸運なことです。

また、こうして災害にあった者たちを援助するのは、結局、政府でも自治体でもなく消防団だったのです。

自分の家でさえ停電、断水、ガス断に見舞われているのに、遠方の乗客のためにあれこれと世話にしてくれた、結城市消防6分団と結城市役所の方のホスピタリティには感謝の言葉もありません。

今回の体験で、日本の防災対策が消防団など地元の有志団体によって支えられていることを痛感しました。

●翌朝から出発まで

ということで、その夜は防災用品の毛布でぐっすりと眠り、翌朝は6:00頃に目覚めました。

朝になるといろいろと必要なものがあり、市役所の方にお願いして自動車で近所のコンビニに連れていってもらいました。

私は靴下とヒゲ剃り、歯磨きセットを買いましたが、この店は電気が通っておらず、当然POSレジは動かずで、電卓で計算して支払いをしていました。

商品によっては値札がついておらず、店員が走りまわって値段を確認していましたが、やがて客が自ら金額を調べてレジで金額を伝えるという方法が自然的に発生しました。この店と客の無言の信頼関係を目のあたりにすると、やっぱり日本社会の成熟度はすごいということを実感しました。

さて、コンビニへの行き帰りに町を見てみると、確かに屋根瓦が散らばっていたり、石壁が倒れているのを見かけます。また、墓石もかなり倒れているのがあったそうです。

Twitterのつぶやきで栃木県の被災が話題にならないことを嘆くものがありましたが、確かにその通りだと思います。適切な対応や支援が届き、当地が復旧することを望みます。

コミュニティセンターでは水が出ませんのでペットボトルの水をつかって顔を洗って、歯を磨いて、ヒゲ剃りをしましたが、ボトル3分の1も使いませんでした。昔の海軍の水兵は洗面器一杯で体も拭いていたと聞いていましたが、やればできるもんだなあと思いました。

そろそろ帰路の情報を収集をしなければなりません。
テレビを注意深く見たりiPhoneで調べたりしましたが、宇都宮線は復旧の目処はたたないとのことでした。しかし、大宮から京浜東北線は動き始めたらしいことが分かりましたので、大宮までたどり着けばなんとかなりそうです。

そこで、3人ずつタクシーに分乗して大宮まで行こうと乗客同士で話しあいました。

それを市役所の方に相談したところ、地元のタクシー会社の社長に知人がいるので早速連絡してみるとのこと。こういう時はやっぱり地元ネットワークが頼りになります。

ですが、同じことを考えている人が多いらしく空車がなかなかつかまりません。
しばらく粘ってくれて、ようやく2台確保。10:30頃に来てくれることになりました。結城市から大宮まで大体20,000円なのでひとりあたり6,500円くらいです。

私は現金が心配だったのでカードが使えるタクシーだろうか、それともキャッシングをしにまたコンビニまで連れていってもらおうかと考えていました。しかし、タクシーはカードOKとの確認もしてくれました。

何から何まで調べてくれて、手配してくれて、まったく、地元の親切はありがたい。

そうして、出発の準備と片付けなどをしていると、市役所の方からどうやら宇都宮線が動き始めたらしいとの情報が入りました。そこで、あわててタクシーをキャンセルし、市役所の方の自動車で小山駅まで行くことに。

ただ、小山駅のホームページでそう書いてあるだけで、駅には電話がつながらないのです。そこで、もし駅に行っても列車が動いてなかったらコミュニティセンターに戻るということで10:30頃に出発しました。

●宇都宮線と日常の東京へ

10:55に小山駅に着いて駅員に確認すると最初の電車がもうすぐ着くとのこと。あわてて全員を呼んでお礼もそこそこにホームに急ぎました。しかし結局列車が着たのは30分後。とにかく12日の始発列車(11:30)に全員乗れました。

しかし、列車は線路や踏切を確認しながらということで自転車程度のスピード。しかも踏切ごとに一時停止しながらですので、駅を3つ行くのに1時間もかかりました。

また、古河駅では別ホームの列車の方が先発と言われ、あわてて移動することに。ところが列車が駅を出たのはその1時間後。出ても相変わらずのゆっくり運転で久喜駅まで3時間ほどかかったでしょうか。

久喜駅でまた乗り換えのアナウンスがあり、ホームの向かいに来た列車に乗り換えることに。しかし、その後は大宮まで快調な運転でした。この乗り換えで昨夜からの乗客とは別れ別れになってしまいましたが。

大宮駅近くのアナウンスで、ここから先の上野駅まではまたゆっくり運転になるとのことでしたので、私は大宮で埼京線に乗り換えることに。

この乗り換え時に通った大宮の駅ナカの賑やかさにはめまいがしました。また、埼京線や山手線はいつもどおりの運転で、窓から見える街も変りなく、日常そのものでした。

ということで小山駅に着いたのが11:00で、新宿の実家に着いたのが17:30。約6時間半の旅でした。

翌日、調べてみると宇都宮線が再び運転見合わせになっていました。あの一本を逃していればもう一泊もありえたわけです。ただ、東武線は12日の14:00頃にほぼ全開通でしたので、栗橋か久喜まで行けばなんとかなったのかもしれません。

というちょっとした非日常体験をしました。もっと過酷な体験をされている方が多いと思いますが、ひとつの体験として記録を残す必要もあるかと思いました。

被災地のみなさんが一日も早く日常に復帰することをお祈り申し上げます。

2010年のマイ・ベスト

年末らしく今年のアートイベント、その他を振り返りました。(写真は無関係)

このブログはいちアートファンとして気ままにアートイベントに出かけ、その記憶を気ままにつぶやいたにすぎないので、全然組織的ではなく、今日を理解するための評論でもありません。

ただ、今年出かけたアートイベントをあたらめて見て、記事を読むと自分の嗜好というか、指向というか、趣味がはっきりしました。

順位はつけず、訪問日をベースにしているので2009年開始のイベントも含まれます。

プライマリー・フィールドⅡ 絵画の現在@神奈川県立近代美術館 葉山
小西真奈作品に囲まれる歓び。やっぱり自分は絵画が好きなんだと再認識しました。

「日本の前衛 1945-1999」瀬木慎一(生活の友社)
戦後のアート業界の遷り変りを包括的に知りたかったのでとても重宝した。

国立民族学博物館
博物館とは世界を包括的に理解するあり方だったんだなあと思い出し、それを体感させてくれました。一泊してでもまた行きたい。

ダムタイプ・ヴィデオ上映@NTT ICC
メディアアート、パフォーマンス、テクノロジーと社会問題。この時代の彼らの作品には私が気になることすべてがある。

国立歴史民俗博物館
国立博物館の実力と物量に感動。沖ノ島のジオラマには震えた。ここも一泊してでも再訪したい。縄文からスタートすると江戸時代くらいで体力の限界。

時の宙づり—生と死のあわいで@IZU PHOTO MUSEUM
個人から収集したスナップと記念写真による展示会。キュレーターのアイデアと熱意があれば、有名作品がひとつもなくても素晴らしい展示会は作れるのだと教えてくれた。

若林砂絵子-平面の空間(PLATFORM2010)@練馬区立美術館
小さな区立美術館だが、その誠実な取り組みに感心した。優れた鑑賞者を多く持っていることが日本のアート業界の強みだと思う。それに大きく貢献しているのがこれら地域美術館の地道な取り組みなのだろう。

アーティスト・ファイル2010―現代の作家たち@国立新美術館
桑久保徹、O JUN、福田尚代。多分一生好きな作家たちです。そのことは間違いないので、これからもずっと追いかけるだろうと確信しました。

長澤英俊展 オーロラの向かう所@神奈川県立美術館 葉山
スタイルのある作家とスタイルのある美術館と、わたし的にベストの組み合わせだった。学芸員のトークもよかった。

命の認識@東京大学総合研究博物館
博物館展示の極北をさらに遠くへ引き伸ばした。これからも目が離せない施設です。

オブジェの方へ-変貌する「本」の世界-@うらわ美術館
反芸術とコンセプトの時代をこれだけ満喫できる展示会はなかった。松澤宥に出会ったのもここだし。

DOMANI・明日展2009@国立新美術館
アートイベントとしての満足度が高い。歩をすすめるごとにアートを鑑賞する歓びが新たに湧き上がる。

ウィリアム・ケントリッジ 歩きながら歴史を考える@東京国立近代美術館
作品も展示も重量級。これもとても満足度が高い。

「文化資源としての炭鉱」展@目黒区美術館
美術館とは十分な調査を行い、必要な作品を収集・保管し、その後にようやく展示があるのだ、ということを教えてくれた。これも膨大な知識と情報に裏打ちされてテーマが開花した実例です。

ということで、結局自分の指向は、

・絵画作品
・前衛以降のコンセプトアート
・しっかりとしたキュレーション

なのだ、ということが分かりました。

来年はこれだけたくさん行けるか分かりませんが、テーマに沿って追いかけていきたいと思います。