小西真奈「Alex」@アラタニウラノ

小西真奈「Alex」@アラタニウラノ

独特な雰囲気の風景画が印象的な小西真奈。だが、今回の個展は自分のこどものポートレイト。あどけなく眠ったり、公園でぎこちなく歩いたり、乳児らしくへんなポーズしたりとカワイイ姿が満載。手放しでオヤバカなんだなあと感じました。

ところで、画家が自分の子どもを描くというのはどういうことなんだろうと、あらためて考えた。

思い出すのがIZU PHOTO MUSEUM写美で見た古屋誠一。若くして自死した妻の日々を写真で追いかけていくと、おのずと小さな息子の姿も写り込むことになる。その子どもがやがて立派な青年になっていくのだが、そこには妻の不在も見えているという写真展だった。

作家というものは最も身近で愛するものであっても、制作の対象とするときは冷徹な距離感を測るものなのだなあ、とも思った。

DOMANI 明日展@国立新美術館

DOMANI 明日展@国立新美術館

文化庁助成による海外アーティスト・イン・レジデンス作家の成果発表展示会。なぜかここ数年は毎年行っているが、年ごとに当たり外れが大きい。

最初の部屋の山口牧子は荒いカンバスに薄い色を何度も塗り重ねた油彩画。おそらく顔料なども使っているのだろうか、抽象画的な日本画の味わいがある。英国留学の成果と言われれば北国の空が思い浮かぶ。

綿引展子をみてファブリックアートを初めて面白いと感じた。おそらく古着や古いシーツなどを使っている大きめの作品は、全体的に黄ばんでいたり、ところどころシミができていたり。

素材の柄や色をつかって、手を伸ばしている人物や、天井や床を支えている人物の形をつくっている。中にはキャンバスにシャツやトレーナー、パジャマの袖を縫いつけて垂らしている作品も。それは思わず手にとって中身があるのか確かめてみたくなる。

人のかたちを表現するのに実際に使われていた布を使うと、作品に多くの意味を込めることになる。誰が着ていたんだろう、何回くらい洗濯したんだろう。どうして捨てられることになったんだろうなど。そして、どうしてこうして手を伸ばしているんだろうなどと。というふうに、今回、ファブリックアートがテクスチャの面白さや感触だけで見るべきではないということが分かった。

津田睦美の展示は太平洋戦中に日本人がニューカレドニア島で抑留されたことについてのルポルタージュ。しかし、これがアートとして展示されていることが不思議だった。

アジア各地に現存する鳥居を撮影してまわった下道基行のような内省的な行為は、アートの文脈を容易に読み取りることができる。しかし、津田のこの展示はアートと呼ぶには事実と対象に寄り添いすぎだった。その事実に今を生きる自分の咀嚼行為があればよかったのにと思った。

児島サコは実験マウスの悲惨な様子の油彩画と大画面プロジェクションによるイメージ映像。これもモチーフやテーマに対してセンチメンタリズムを超えた何かがほしかった。

45周年の特別展示ゾーンに相笠昌義のいつもと変わらない新作があった。また、近美で見て気に入った丸山直文の新作「clouds」もあった。上記の山口牧子と共通する感触があるが、こちらの方がはるかに思い切りがいい。

元田久治の廃墟アートにはどうしてもそそられなかった。

実存する廃墟が人をひきつけるのはそこに人の営みがあったからだと思う。軍艦島、炭鉱町、廃工場、閉鎖されたアミューズメントパーク。また、空想の廃墟の映像が繰り返し映画などで映像化されるのは、そうなるに至った膨大なストーリーがそこにあるからだ。「猿の惑星」のエンディング、「アイ・アム・レジェンド」の人気のないマンハッタン。

元田の描く国会議事堂や東京タワーには、そうなるに至ったストーリーが浮かばない。こうなるしかなかった、という意思ではなく、とりあえずもっとも有名なものを廃墟にしてみました的な面白がりしか伝わってこない。例えば朽ちていく膨大な小さな暮らしの積み重ねがあり、その象徴的な一瞬にそれがあるのならストーリテリングとして効果的だと思うのだが。

といいつつ、自分でもずっとむかしにカタストロフィをテーマにした作品を制作したことがあったのを思い出した。

東京藝術大学 卒業・修了作品展@東京藝術大学

東京藝術大学 卒業・修了作品展@東京藝術大学

確か例年では都美術館でやっていた藝大の卒展。今年は都美術館の工事で上野校地でやることになったらしい。東京芸大といえば普段は美術館にしか行かないのだけど、絵画棟、彫刻棟、デザイン・建築棟から音楽学部の大学会館まで、普段は行かないところにまで入れてとても楽しかった。

絵画棟では、長く見ていたくなる作品は油絵よりも日本画に多かった。丸川直人「鈍行」と山内昂「何処から、何処へ」は記憶しておくべきだと思った。

彫刻棟の天井の高いアトリエの充実した環境がうらやましい。こんな環境で先生や先輩に囲まれておもいっきり制作に没頭できる時間が美大生の宝ものなのでしょうね。

美術とは別に感心したのが陳列館で展示していた文化財保存の研究。日本画、油絵、建築などの保存・改修技術に携わっている学生がこんなにたくさんいるとは思わなかった。

美術業界というと制作、展示、研究などが思い浮かぶが、保存技術というエンジニアリングに関わる分野がこんなに大きかったとは。この分野についてもこれからウォッチしていこうと思った。

それから、音楽学部のキャンパスに初めて入ったが、美術学部のカオスと比べてこちらの端正なこと。美大と音大の世界の違いをかいま見たようです。

鷹野隆大<個展>「モノクロ写真」@ユミコチバアソシエイツ

鷹野隆大<個展>「モノクロ写真」@ユミコチバアソシエイツ

鷹野隆大は、昨年写美で見たどうしようもなく面白くない景色という、「カスババ」が意外と面白かったので注目していた写真家。311以降の活動に惑う鷹野は、街にある自分の影を撮ることにしたらしい。道路や廊下、エスカレーターにあるぼんやりとして自分の影を特に目的もなく撮っているようだ。この行為がどの方向に向かい、いつか何かの成果となるのかはわからないが、一人の作家の通過点を視認するという意味で見に来てよかった。

石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行@府中市美術館

石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行@府中市美術館

石子順造は1970年代にマンガ批評などで活躍した評論家だが、美術館で評論家についての企画展とはめずらしい。しかし、これは現在からあの時代を見据えた好企画だった。以前見た「多摩川で/多摩川から、アートする」もそうだったが、この美術館は年に1回は刺激的な企画展をやってくれる。

最初のゾーンには池田龍夫、中村宏、横尾忠則、高松次郎など石子に関わりのある作家の作品がある。石子といえばガロなどでマンガ批評をしていたのが記憶に残っているが、前衛美術とこんなに関わりがあったとは知らなかった。

さらにその奥には「トリックス・アンド・ヴィジョン展」の作品がある。これは1968年に東京画廊と村松画廊で行われた美術展で、石子が中原佑介とともに企画したもの。当時の前衛美術で最先端と言われた美術展らしく、今日でもその様子は伝えられている。それに展示された作品がここに一同に会し、その展示会場が再現されているのは壮観だった。

次のマンガゾーンでは、石子がこだわった当時のマンガをいくつも手に取ったり読んだりすることが出来る。つげ義春「ねじ式」の原画が暗い展示室のガラスケースに大事そうに展示されているのは、読み捨てられるのが宿命のマンガの展示方法としてどうなのかと複雑な気持ちになった。

かといって当時のマンガ雑誌が天井からワイヤーで吊り下げられて勝手に読めるようになっているのも、古本として貴重なものの扱いとしてどうなのかと、これまた複雑な感じを持った。

いくつか林静一の作品があり、久しぶりに読んでみた。やっぱりこれはマンガ表現の完成型としてもっと評価されるべきものだと再認識した。また、彼の最初のアニメーション作品である「かげ」をブラウン管テレビで見ることができた。これも貴重な体験であった。

最後のゾーンでは観光地のペナント、食品サンプルなど、石子のこだわった懐かしくもキッチュなものたちが楽しめる。ボウリング大会のトロフィーなんて誰が喜んだんだろ、というものもある。懐かしかったのが日光写真。この感光紙と型抜きとボックスのセットは雑誌の付録だったと思うが、私はこれをうまく感光できたためしがなかった。

このゾーンの展示物は新たに収集されたもののようだが、たしか千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館にもこの種のアイテムの膨大なコレクションがあったような気がする。

石子展と同時開催の小山田二郎展も興味深かった。顔の病気によるコンプレックス、高齢になってからの不可解な失踪など、作家のドラマチックな人生など思い出さなくても、「顔」「鳥女」など異形のモチーフと傷だらけのキャンバスには引き込まれる。長く描きつづけた作家の生涯展というのはいつでも見る価値がある。

常設展の入り口近くに2点だけあった植竹邦良の「人形の行く風景」(1969年)「最終虚無僧」(1974年)に思わず立ち止まった。どこか立石大河亞を思わせるこの方の作品はどこかで見たことがあるのだが思い出せない。

同じ壮大な空想の風景を描いても立石の作品にはどこか牧歌的な雰囲気がただようが、植竹の作品には狂信的な方向性がある。見るものはその行く末をみとどけなければならない気持ちになる。

府中市美術館のアトリエではちょうど横尾忠則の公開制作中。製作中のY字路の作品3点をガラス越しに見ることができた。

やや遠方ではあったがこれだけ楽しめれば大満足の府中市訪問だった。

村山槐多の全貌@岡崎市美術博物館

村山槐多の全貌@岡崎市美術博物館

東京発6時20分の「のぞみ」に乗ったら8時半に東岡崎に着いてしまった。しかし、駅前には何もなくてがっかり。名古屋駅のコメダ珈琲でモーニングでもしてくればよかった。

そこから路線バスで30分、小高い丘の上に建つ岡崎市美術博物館は、別名「ランドスケープミュージアム」。そういうだけあって素晴らしいロケーションだった。

日本の地方美術館の地道な調査活動と熱意と、そして優れた企画力にはいつも感嘆するのだが、ここでも心惹かれる企画展を連発している。昨年行われた「桃源万歳!―東アジア理想郷の系譜―」には東北画の三瀬夏之介の作品も出ていたとのこと。かなり惹かれたのだが行けなかった。

さて、今回のお目当ては村山槐多。14歳で描き始め、22歳で夭折という大正時代の天才画家である。関連資料350点。絵画はもちろん、自作の詩も自筆の小説もあり、大作の謎解きもあって、まさに全貌というにふさわしい展示会だった。

行ったのは土曜日の朝のことだったが会場は多くの来場者でにぎわっていた。実績のある大作家というわけでなし、どのくらい来場者を集められるのだろうと思っていたが良好のようだ。来場者が熱心に鑑賞している様子を見ると、当地に芸術・文化を愛好する厚い層があることがよく分かった。

槐多が奈良へ徒歩旅行したとき、警察署長の好意で署に泊めてもらったことを書いた「警察宿り(とまり)」の自筆原稿がよかった。内容の面白さもさることながら、楷書の文字が一貫しており、紙面デザインへの高いこだわりが感じられた。

展示会は絵を描き始めた14歳から17歳までが「第1章 岡崎に生まれ、京都へ」、東京で本格的に制作活動にうちこむ18歳頃が「第2章 画家を志して上京、謎の大作と盛期」、それ以後、画壇で認められつつ放浪する19歳頃が「第3章 大作の屈辱から野生への眼差しへ」、家族との葛藤に苦しみ、惜しまれながらも病死する22歳までが「第4章 晩年―失恋、闘病の末終焉の地代々木へ」となっている。

こうして展示会場を歩いて彼の人生を概観すると、その短くも激しさに慄然とするとともに、いかに彼が多くの大人たちに愛され、期待されてきたのかもわかる。いち早く才能を見抜き協力を惜しまなかった山本鼎はもちろん、無名作家だった槐多の作品を最初に購入した横山大観、そして与謝野晶子、高村光太郎らの文人たち。彼らは槐多の破滅的なまでに青年らしい気質が、芸術に対する一途さから生じていることを彼の作品から見て取ったのではないか。

彼の作品を多くの美術館が収蔵し、コレクターが熱心に収集していることから、それは今日の人々にも同じようにアピールしていると思う。今日これだけ人々の情感に訴える戦前の日本作家はいないのではなかろうか。

ところで、これだけ彼の作品を一同に見ると、作家としての課題も明らかになるような気がする。言ってみれば輪郭と網カケで描いた人物は素晴らしいが、伝統的な油彩技法で描かれた作品は退屈なのだ。特に風景が、いわゆる中心のない画面でつまらない。

謎解きとしてフィーチャーされた「日曜の遊び」は大作を水彩で描こうとした試みだが、これには大画面の構築に見るところがない。どこといって見るところのない退屈な作品だと思った。しかし、いずれにしてもこれが18歳の作品。あと10年生きていれば身につくことが多かっただろうにと、かえって哀しみに誘われる。

それに対して人物画の魅力的なこと。油彩でもきっぱりとした墨の描線と綿密に描かれた眼と鼻には引き込まれずにはいられない。そして、作家がどういう気持ちで描いているのかが手に取るように伝わってくる。

「紙風船をかぶれる自画像」「尿する裸僧」「山本たけ像」「バラと少女」。モデルに対してはもちろん、これを描いた画家のことにも好意を覚えずにはいられない。特に江戸川乱歩が熱望して手に入れたという「二少年図」のピンクの頬が瑞々しいこと。また、このキャプションにあった乱歩が影響を受けたとされる村山の小説とはどれのことだろう。とても興味をそそられた。

山本糾「光・水・電気」@豊田市美術館

山本糾「光・水・電気」@豊田市美術館

豊田市美術館は名古屋からJRと名鉄を乗り継いて1時間ほどの豊田市駅で降りて、徒歩15分のところにある。トヨタ自動車の本社がある街で駅前はそれなりに賑わっているが、よくある地方都市。しかし、小高い丘を息を切らせて登ってゆくと、美術館建築のお手本のような気持ちのいい空間がある。

山本糾は8×10の大判フィルムを使う写真家で、モノクロながら目が醒めるような高解像度の大判写真を撮る。大きな窓や天井から外光を柔らかに取り込む展示室によく合う、シャープな作品群だった。

ここでは毎日13:30から学芸員によるギャラリーツアーがあるらしく、時間があったので参加させてもらった。

「暗い水」と題した高地の水辺の風景を写した作品は、日没後15分くらいからのフラットな光を求めて、その時刻に大判のカメラを運びあげて撮ったもの。また、平城京近くの陵墓の水辺を写した「Jardin 磐之媛陵」は対象を正面から写している。トークにはそうした風景写真のテクニックが満載で、カメラファンらしき人たちがメモを取りながら参加していた。

本来は澄んでいる石狩川の水面を曇り空に真上から撮影し、硬質な波として表現した「考える水」や、採掘場の岩山の表面を立体感を排除して撮影し、物質や風景ではなくテクスチャとしてとらえた「時間の庭」も面白い。そこにはもったいつけたテーマがなく、ひたすら技術をつくして対象をフィルムに焼き付けるという行為がある。

テーマの深さやモチーフの面白さを追求し、それを作品だけでなく言葉でも語ろうとする写真家が多いなかで、このように技術に重きをおいた写真家の姿勢に新鮮さを感じた。見終わってみれば、山本が彫刻家から撮影を依頼されることが多いとのトークの言葉に納得できた。

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